ひさびさに何か書いてみたい気がして、。。 いや、ほんとに久々です。
自分のこころを見つめつづけた反動でしょうか、この頃はなんかぽか~んな感じで緩んでます~~~~~~。
1つ事を考え始めるときりがありませぬ。
家族からフアナティカーだのなんだのと言いわれてました。
そんなこんなで、考えに「ひたる」の、思考の毛糸玉もぎりぎり巻き状態からゆるゆる~になって(いや、自主的にそうして)。
なんでもあり状態がますます進行しました。
なんでもありなんですよね、そうなんです。
どんな自分でもいいのですよ、そうです。
そんな自分に切り替わるのに、深い呼吸は役にたっています、それとオペラの舞台で培った表現の、感情の切り替え法。何をしてても、どんな自分でも、やはり自分は自分なんです、エゴとかなんとか、本当の自分とか・・・。
みんなひっくるめて自分なのだ。
そのことを認識、で、ますますなんでもありになりました。
最近、堺雅人さんがお気に入りですが、彼も自分について追及している一人の人間なのじゃないか?、と最近思い当たりました。
普段からニュートラルにしていて、演技をするときは周囲の意向を受け入れて、そこから出てくる自分を台本に沿ってギアチェンジして行く、創造してゆく・・・。
普段はとても静かな澄んだ泉の状態で、さざなみをたててみたり、光らせてみたり、波紋を作ってみたり、嵐の状態にしたり、おだやかさをたたえたり、・・・。
泉が大きくって、深くって、それでいて浅いところもあれば、そうでないところもあって。。。
で、公に何かを決めてするとき以外は、ニュートラルな状態で。。。透明な感じ。
私は音楽活動をしている時がそうでした。ニュートラルを体感すると、とってもフレキシブルになるんだなぁ・・・。
でも、意識しすぎると 、というか意識してしまうと、「所在のなさ」みたいになっちゃったりして、、、。
精神的なことに頼りたくなります。
あ!また思考がぐるぐるまきになるので、ここいらで今回はやめとこ。
で、言いたかったのは「境雅人さんはニュートラル人間の素晴らしい役者さんだ!」 ということでした。
堺さん、Bussi!
(^^)v